2014年8月21日木曜日

私のプロヒール

『世の中は地獄の上の花見かな    (一茶)』

『わたしは或雪霽の薄暮、隣の屋根に止まってゐた、まっ青な鴉を見たことがある。     (芥川龍之介)』

『車夫は筵の中にヘクトーの死骸を包んで帰って来た。私はわざとそれに近付かなかった。白木の小さい墓標を買って来さして、それへ「秋風の聞こえぬ土に埋めてやりぬ」という一句を書いた。私はそれを家のものに渡して、ヘクトーの眠ってゐる土の上に建てさせた。彼の墓は猫の墓から東北に當って、ほゞ一間ばかり離れてゐるが、私の書斎の、寒い日の照ない北側の縁に出て、硝子戸のうちから、霜に荒らされた裏庭を覗くと、二つとも能く見える。もう薄黒く朽ち掛けた猫のに比べると、ヘクトーのはまだ生々しく光ってゐる。然し間もなく二つとも同じ色に古びて、同じく人の眼に付かなくなるだらう。    (夏目漱石)』

『花の散るが如く、葉の落るが如く、わたくしには親しかった彼の人々は一人一人相次いで逝ってしまった。わたくしも亦彼の人々と同じやうに、その後を追ふべき時の既に甚だしくおそくないことを知ってゐる。晴れわたった今日の天気に、わたくしはかの人々の墓を掃きに行かう。落葉はわたくしの庭と同じやうに、かの人々の墓をも埋め尽つくしてゐるであらう。    (永井荷風)』

『 もの言ひて さびしさ残れり。大野らに いきあひし人 遥けくなりたり
  旅を来て 心つゝまし。秋の雛 買へと乞ふ子の 顔を見にけり 
  山びとの 言ひ行くことのかそけさよ。きその夜、鹿の 峰をわたりし
                                        (釋超空) 』

『私の一生の短い期間が、その前と後に続く永遠のうちに没し去り、私の占めているこの小さい空間が、私を知りもせずまた私の知りもしない無限の空間のうちに沈んでいるのを考えるとき、私は自分がここに居て、かしこに居ないということに、恐れと驚きを感じる。なにゆえ私がかしこに居ないでここにいるのか、なにゆえ私がかの時に居ないでこの時に居るのか、全然、その理由がないからである。誰が私をここに置いたのか? 誰の命令、誰の指図によって、この時この所が、私にあてがわれたのか?
                            (パスカル・松浪信三郎訳)  』

『思へばこの世は常のすみかにあらず。草葉におく白露、水に宿る月よりなおあやし。金谷に花を詠じし栄花は先立って無常の風にさそはるゝ。南楼の月をもてあそぶともがらも月に先立って有為の雲に隠れり。人間五十年、化転の中をくらぶれば夢まぼろしのごとくなり。一たび生を受けて滅せぬ者のあるべきか。
                                     (幸若・「敦盛」) 』 

『昨日見し人今日はなし
今日見る人も明日はあらじ
明日とも知らぬわれなれど
今日は人こそかなしけれ
            (中世の今様) 』

『年たけてまた越ゆべしと思いきや命なりけり小夜の中山       (西行)』 

『私はまたあの花火といふ奴が好きになった。花火そのものは第ニ段として、あの安っぽい繪具で赤や青や、様ざまの縞模様を持った花火の束、中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき。それから鼠花火といふのは一つづつ輪になってゐて箱に詰めてある。そんなものが變に私心を晙った。 それからまた、びいどろといふ色硝子で鯛や花を打ち出してあるおはじきが好きになったし、南京玉が好きになった。またそれを嘗めてみるのが私にとって何ともいへない享楽だったのだ。あのびいどろの味ほど幽かな涼しい味があるものか。私は幼い時よくそれを口に入れては父母に叱られたものだが、その幼時の甘い記憶が大きくなって零落れた私に蘇ってくるせゐだらうか、全くあの味には幽かな何となく詩美と云ったやうな味覺が漂ってゐる。                (梶井基次郎)  』

『    凧きのふの空の有りどころ (蕪村)
北風の吹く冬の空に、凧が一つ揚がって居る。その同じ冬の空に、昨日もまた凧が揚がって居た。蕭条とした冬の季節。凍った鈍い日ざしの中を、悲しく叫んで吹きまくる風。硝子のやうに冷たい青空。その青空の上に浮かんで昨日も今日も、さびしい一つの凧が揚がって居る。飄々として唸りながら、無限に高く、穹窿の上で悲しみながら、いつも一つの遠い追憶が漂って居る!       (萩原朔太郎)  』 

『 何処にか船泊てすらむ 安礼の崎 漕ぎ回み行きし 棚無小舟
                                           (高市黒人)     』

 『 あはれ花びらながれ
 をみなごに花びらながれ
 をみなごしめやかに語らひあゆみ
 うららかの跫音<あしおと>空にながれ
 をりふしに瞳をあげて
 翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
 み寺の甍みどりにうるほひ
 廂々に
 風鐸のすがたしづかなれば
 ひとりなる
 わが身の影をあゆまする甃のうへ
                              (三好達治)   』

『池水は 濁りににごり 藤波の影もうつらず 雨降りしきる
                               (伊藤左千夫) 』
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『ソノシートから出てくる音楽を聞いたギャルが、こう云った。  「えー、あのペラペラしたものにデータが入っているのぉ!!!」  

それはテレビをみていたときのことだったが、私は、その二十歳前後らしい娘の、さも驚いた様子をみたとき、苦笑と同時に、“あー、時代が変わったんだなぁ”という感慨を持たざるを得なかった。 なるほど、ソノシートに「記憶」されているものは、「データ」には違いない。

私は、半生を、しがない電子回路設計屋として過ごしてきた。工場の片隅で、汚れた作業服を着て、ハンダゴテやら回路図面やらと共の半生であった。私が学校に居た頃の講義は「真空管回路」であり、まだトランジスターというモノは、まさに、ウブの状態であった。学校を出て、電気工場で、設計で使った部品は、サブミニュチュア管という真空管であった。そして、その頃の残業時間での勉強会のテーマが「デジタル回路」であった!

しかし、その頃から始まったことは、アナログからデジタル化への“狂気”であった。
そう、私は、その変化を“狂気”と言って良いと思う。  またたくまに、真空管は影を失せ、トランジスタからICへ、ICからLSIへと変貌していった。 文字どおり、数ヶ月の間に、「電子部品」は「進歩」し続け、姿を変え続けた。  

この、電気工場の片隅の現場で起きていた“狂気”は・・・・もし“狂気”と言うのが言いすぎならば“変貌”と言ってもよいが・・・それは、その“時代”そのものの“狂気”であり、“変貌”でもあったのだ、と私は思う。

あのギャルの、ソノシートでの「データ」への驚きは、この、私たちの過去数十年の時代の“狂気”なり“変貌”に対する、率直な驚きだったのだ、と私は思う。

いつの頃からか、この世界は、“狂気”と共存せざるを得なくなったようだ。

私たちの、身近な、前の世代の人たちには戦争という“狂気”があった。
そして、私たちが、ここ数十年で経験してきたことの“狂気”の一つは、確かに、「アナログからデジタルへ」という“狂気”であった。

2011年からテレビ放送の地上波は完全にデジタル化されるという。日本全国からアナログ放送が消えてしまうのだ。有無をいわさず、消してしまうのだ。

私は、これは、一つの象徴だと思う。
文明というものの別名は、“狂気”だということの。
これも言い過ぎだろうか?
                            (私:2009/11記) 』